買ってよかった

鬼武者新作にみる源義経の人生|実況を何十本も見たエアプが史実を調べた

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買っていません。実況動画だけ見ています

先に正直なところを書きます。私は『鬼武者 Way of the Sword』を買っていません。2026年9月4日の発売から、実況動画を何十本か見ました。正確な本数は数えていませんが、気づいたら攻略のコツまで覚えていました。完全にエアプです。

言い訳をさせてもらうと、剣戟アクションは自分の腕では成立しないとわかっているのです。「一閃」という、攻撃を受ける直前にボタンを押すと大ダメージを返せるシステムがあります。動画で見ると美しいのですが、私がやったら十回のうち九回は斬られます。

それでも見続けました。そして、ラスボスの正体を知って手が止まりました。

ここから先は『鬼武者 Way of the Sword』のボスとラスボスに触れます。未プレイの方はご注意ください。

ラスボスが源義経だった

舞台は江戸時代初期の京都。主人公は若き宮本武蔵で、フェイスモデルは三船敏郎さんです。幻魔と呼ばれる存在が京にはびこり、武蔵は鬼の籠手を得てこれを斬っていきます。

その最後に立ちはだかるのが、源義経でした。

ゲーム内での義経は、霊体となったのち地獄で幻魔を率いる立場になり、人間として完全に復活するために鬼の籠手を狙っている、という設定です。信長と違って幻魔にも鬼にもならず、人間から鬼武者になった存在として描かれます。

私はここで「なぜ義経なんだ」と思いました。江戸初期の話に、四百年以上前に死んだ人物が出てくる。しかも源平合戦の英雄です。

ボスの並びが、そのまま源氏の妖怪退治史だった

もうひとつ気づいたことがあります。ボスの顔ぶれです。

  • 鵺・青と鵺・赤、さらに大鵺
  • 弁慶
  • 酒呑童子
  • そしてラスボスの源義経

これを見て、私は椅子から少し身を起こしました。鵺と酒呑童子は、どちらも源氏が退治した化け物です。鵺を射たのは源三位頼政、酒呑童子を討ったのはその先祖の源頼光。弁慶は義経の郎党です。

つまり武蔵が斬っていく相手は、四百年前に源氏が倒した化け物たちと、源氏そのものなのです。偶然ではないと思います。

そうなると、源氏とは何者なのかという話を避けて通れません。ついでに平氏も調べました。ここからが本題です。

源氏とは何か ― 天皇家から分かれた姓

源氏も平氏も、もとをたどると天皇家です。これ以上さかのぼる氏がありません。

皇族が増えすぎると朝廷の財政負担になるため、一定の世代から下は皇籍を離れて臣下になる仕組みがありました。臣籍降下といい、そのときに与えられる姓を賜姓といいます。

最初の源氏は814年(弘仁5年)です。嵯峨天皇が、信(まこと)をはじめとする皇子女に源姓を与えて臣籍に下しました。これが嵯峨源氏です。

では「源」という字はどこから来たのか。天皇と源(みなもと)を同じくする、という意味です。中国の先例が挙げられます。北魏の太武帝が降ってきた南涼の王族に「卿は朕と源を同じくする」と述べて源姓を与えた、という故事が『魏書』にあり、漢籍に通じた嵯峨天皇がこれに倣ったとされます。

源姓はその後も繰り返し与えられました。仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、村上、花山、三条。二十以上の流れがあり、それぞれ嵯峨源氏、清和源氏のように天皇の名で呼び分けます。

このうち武士として最大の勢力になったのが清和源氏です。清和天皇の孫の経基王が源経基となり、その孫の満仲の代で大きく枝分かれします。

  • 頼光の系 → 摂津源氏。頼国、頼綱、仲政、そして源三位頼政
  • 頼親の系 → 大和源氏
  • 頼信の系 → 河内源氏。頼義、義家、義親、為義、義朝、そして頼朝と義経

酒呑童子を退治した頼光と、鵺を射た頼政は同じ系統です。妖怪退治の家系が摂津源氏、武家政権を作った家系が河内源氏、と覚えると整理しやすくなります。

平氏とは何か ― 二度の賜姓と、「平家」という呼び方

平氏も同じ仕組みですが、こちらは賜姓が二度あり、性格の違う二つの流れになりました。

一度目は825年、桓武天皇の孫である高棟王(たかむねおう)です。この系統は京都で公家として続き、堂上平氏と呼ばれます。武士にはなっていません。

二度目は889年、高望王(たかもちおう)です。桓武天皇 → 葛原親王(かずらわらしんのう)→ 高見王 → 高望王という系譜で、桓武天皇の曾孫にあたります。こちらが武家平氏の祖になりました。

決定的だったのは、高望王が上総介として関東に赴任し、任期が終わっても京へ戻らなかったことです。現地に根を下ろし、その子の代で在地武士団が形成されます。

  • 良将の子が平将門。935年に一族との私闘が始まり、939年には新皇を称して朝廷に反旗を翻します
  • それを討った国香の子が貞盛。この系統が伸びます
  • 貞盛の子孫が伊勢国に移って伊勢平氏となり、正盛、忠盛と続いて清盛へ

清盛は、高望王から数えて九代目にあたります。

なお「平」という字の由来は確定していません。平安京にちなむという説がよく挙げられますが、諸説あります。

調べていて一番「なるほど」と思ったのがこれです。平氏と平家は同じ意味ではありません。平氏は姓を同じくする一族全体を指し、平家は清盛を中心とする伊勢平氏の一門だけを指します。清盛が武家政権の頂点に立ち、圧倒的な権力を握ったために、その一門だけが特別に「平家」と呼ばれるようになりました。一方で「源家」という言い方は定着しませんでした。頼朝の死後は事実上北条氏が実権を握り、一門としての存在感が続かなかったからだと言われます。

そして念のため書いておくと、天皇家そのものには姓がありません。姓は天皇が臣下に与えるものなので、与える側は持たないのです。源も平も「天皇家から分かれた」ことを示す印であって、それ以上たどれる氏は存在しません。

源平合戦は、同じ家から分かれた二つの系統の争いでした。

源三位頼政 ― 鵺を射た男

ゲームに鵺が出てくるので、頼政にも触れておきます。この人がいなければ源平合戦は始まっていません。

頼政は1104年生まれ。長く京都で朝廷に仕え、保元の乱と平治の乱ではどちらも勝者側に属し、平氏政権下で源氏の長老として中央政界に残りました。武人でありながら歌人でもある、文武両道の人物です。

1178年、平清盛の推挙で従三位に昇りました。清和源氏として初めてのことで、このとき数えで75歳。九条兼実は日記に「第一之珍事也」と書いています。武士としては破格の扱いでした。だから源三位(げんざんみ)頼政と呼ばれます。

昇進前には、正四位に留め置かれた不満をこう詠んでいます。

  • のぼるべきたよりなき身は木の下に 椎をひろひて世をわたるかな

椎(しい)と四位をかけています。七十を越えてこの歌を差し出す胆力が、私は好きです。

鵺退治は『平家物語』の説話です。近衛天皇が夜ごと怯えるので、頼政が庭を警護していると、東三条の森の方角から黒雲が立ちのぼり、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という化け物が現れました。頼政が弓で射落とし、郎党の猪早太(いのはやた)が太刀で仕留めます。この功で朝廷から「獅子王」という太刀を賜ったと伝わります。

そして1180年。頼政は以仁王(もちひとおう)を担いで平家打倒の兵を挙げました。計画は一か月ほどで露見し、宇治橋で抵抗したのち平等院に籠り、子の仲綱らが次々に討たれるなか、頼政も自刃します。享年77。

この挙兵自体は失敗でした。しかし以仁王の令旨だけは全国の源氏に届き、伊豆の頼朝が挙兵します。それを聞いて奥州の義経が駆けつけました。

つまり頼政が投げた石の波紋が、義経を歴史の表舞台に引き出したのです。二人は21年ほど同時代を生きていますが、会った記録はありません。義経が兄と黄瀬川で対面したのは、頼政の死から約5か月後のことでした。

こんぴらさんに、頼政が祀られている

ここで思わぬつながりが出てきました。

京都市東山区に安井金比羅宮という神社があります。縁切り縁結び碑で有名な、あの神社です。高さ1.5メートルほどの巨石に穴が空いていて、表から裏へくぐって悪縁を切り、裏から表へ戻って良縁を結ぶ。テレビでよく見るあれです。

この神社の祭神は三柱。崇徳天皇、大物主神、そして源三位頼政です。

なぜ頼政が祀られているのか。調べてみると理由がはっきりしていました。この地にはかつて蓮華光院という寺があり、1695年に移されてきたものです。その初代の道尊僧正が以仁王の遺児と伝えられていて、以仁王を補佐した頼政がその縁で合祀された、ということです。

崇徳天皇が祀られているのは別の由緒です。もとは藤原鎌足が建てた藤寺で、崇徳上皇がこの地を愛して足しげく通いました。保元の乱で讃岐に流されて亡くなったあと、寵愛を受けた阿波内侍が遺髪を埋めて塚を築き、勤行を続けたと伝わります。

そして縁切りのご利益の根拠がこれです。崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断って参籠された、という話から、断ち物の祈願所として信仰されるようになりました。香川のこんぴらさんと、京都のこんぴらさんは、この崇徳天皇でつながっています。

縁切りで知られるあの神社に、源平合戦の引き金を引いた男が祀られている。しかも、以仁王という担がれた皇子の血筋を通した縁で。私は行ったことがないのですが、これを知ってから急に行きたくなりました。

史実の義経は、五年で駆け抜けて死んだ

頼政の話が長くなりました。義経に戻ります。

  • 1159年生まれ。父の源義朝は義経が生まれた年に起きた平治の乱に敗れ、翌年の正月、尾張で家人に裏切られて殺されています。義経は父の顔を知りません
  • 鞍馬寺に預けられ、十六歳ごろに奥州平泉へ下ります
  • 1180年、兄の頼朝が挙兵。義経は奥州から駆けつけます
  • 一ノ谷、屋島、壇ノ浦。1185年、平家は滅びます。挙兵から五年です
  • その直後に兄と決裂。1189年、逃げ込んだ奥州の衣川で自害。三十一歳

戦の場面だけを並べると、常識外れのことばかりしています。一ノ谷では崖を馬で駆け下り、屋島へは暴風雨の中を渡海し、壇ノ浦では当時の作法を無視して敵船の水夫を射させました。

判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉は、この義経への同情から生まれたものです。判官は義経の官職に由来します。弱い側に理屈を超えて肩入れする心情を指しますが、「あの判定は判官贔屓だ」のように偏りを指摘するときにも使われます。

なぜ兄に殺されたのか

ここが調べていて一番おもしろかったところです。

頼朝が作ろうとしていたのは、朝廷から独立した武士の政権でした。そのために絶対に必要だったのが、御家人は官位や恩賞を朝廷から直接もらわず、すべて頼朝を通す、という原則です。

ところが義経は1184年、頼朝の許可なく後白河法皇から官位を受けました。後白河はまさに源氏を分断するためにそれを与えています。本人に反逆の意思があったかどうかは関係なく、この一件で義経は「頼朝の統制外にいる、朝廷と直結した源氏の武将」になってしまいました。

鎌倉入りを許されず、腰越から「二心なし」と訴える手紙を送りますが、頼朝は会いませんでした。刺客を送られ、逆に法皇から頼朝追討の院宣を得て九州へ向かいますが、船が難破します。

そして誰も集まりませんでした。

戦の天才が、戦う以外のすべてで負けた

これが調べていて腹に落ちた点です。

義経が指揮した軍は、頼朝から預けられた御家人たちでした。彼らは頼朝と主従関係を結んだ武士で、義経の家人ではありません。土地も恩賞も、与える権限は頼朝にしかありません。

頼朝は流人の二十年をかけて、東国武士団との御恩と奉公の関係を築きました。義経はその積み上げをまったく持っていません。戦場での才覚は圧倒的でも、人を動かす基盤が何もなかった。だから旗を揚げても人が来ませんでした。

さらに、後白河法皇は頼朝が上洛の構えを見せるとあっさり態度を変え、今度は義経追討の院宣を出しています。権威の裏づけも数週間で消えました。

戦の天才が、戦う以外のすべてで負けた。義経の生涯はそういう形をしています。

ラスボスに義経が選ばれた理由

ここまで調べて、ゲームの設定が急に納得のいくものに見えてきました。

義経には、日本史上まれなほど「死んでいない」と思われてきた歴史があります。実は生き延びて大陸に渡りチンギス・ハンになったという説が江戸期に芽生え、大正13年には『成吉思汗ハ源義経也』がベストセラーになっています。学術的には成立しませんが、それだけ人々が彼の死を認めたくなかったということです。

つまり義経は、四百年後の江戸初期に霊体として現れても、日本人の感覚としてまったく違和感がない。むしろ「またか」と思えるほど、生存伝説を背負い続けた人物なのです。

しかも、鬼の籠手という他人の力を借りて完全復活を狙う、という設定がよくできています。史実の義経は、自分の力を持たず、兄の兵と朝廷の権威という借り物で立っていて、それを取り上げられた瞬間に何もできなくなりました。借りた力で立とうとして滅びた人が、また借りた力で戻ってこようとする。

鵺と酒呑童子を配置して、最後に源氏そのものを立たせる。この並べ方は、かなり考え抜かれていると思います。

私が見た実況は、この三本がよかった

何十本も見たと書きましたが、人に勧めるならこの三本です。

弟者さんの『鬼武者 Way of the Sword』実況 弟者さんの実況(YouTubeで見る)

まず弟者さん。単純におもしろいです。剣戟のうまさもさることながら、リアクションが良くて、こちらまで一緒に戦っている気分になります。

ゆるいカメさんの『鬼武者 Way of the Sword』実況 ゆるいカメさんの実況(YouTubeで見る)

ゆるいカメさんはテンポがよくて見やすいのが良いところです。長時間の配信でも間延びせず、話の区切りがはっきりしているので、途中から見ても置いていかれません。

『鬼武者 Way of the Sword』の解説動画 ストーリー解説(YouTubeで見る)

そして解説動画。この記事を書こうと思ったきっかけがこれです。設定の整理がわかりやすく、義経が何者として描かれているのかがすっと入ってきました。そこから「では史実の義経は」と調べ始めて、気がついたら源氏の系図をノートに書いていました。

エアプなりの結論

というわけで、私はまだ買っていません。ですが、実況を何十本も見て、そこから四百年前の人物を調べ直し、天皇家から源氏と平氏が分かれた経緯までたどって、最後は京都の縁切り神社に着きました。ゲームの入り口としてはこれで十分に元が取れている気もします。

作品にのめり込んで周辺まで調べ倒す癖は、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』にキュン死しそうですを書いたときにも出ました。どうやら私は、物語そのものより「その裏側」を知りたくなる人間のようです。

次は『平家物語』をちゃんと読もうと思っています。漫画も本も、全部電子書籍に移行したので、その気になれば今夜から読めます。

とはいえ、義経戦の「掴み」の対処法まで動画で覚えてしまったので、そろそろ自分の手で一閃を外しに行くべきかもしれません。難易度は落とします。

そしていつか、安井金比羅宮に頼政へ挨拶に行きたいと思っています。切りたい縁は、特にありません。