「インド赴任」が決まった27歳の頃の私|びんせんブログ
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このブログは英語がダメダメだった私が海外赴任をするまでの物語を書いたものです。とても恥ずかしい過去を語っています。

「こんな人でも海外で働けたんだ」と参考にしていただければと思います。

初学者から英語上達までの学習のまとめはこちら!

「びんせんくん」インド行こうか

私「え?インド?インドですか?うちの会社シンガポールとかシリコンバレーにも支店があって、私はそちらに異動希望を出していたはずですか・・・」

上司「今君が赴任して活躍できるのはインド支店だ。インドは人口もおおくて勢いがあっていいぞ!若いうちにいっておきないさい。」

私「さようでございますか・・・」

海外赴任は20代で絶対にしたいことの1つだったので、インド赴任が決まった時はうれしい気持ちがあったが、正直、複雑なものだった。

私は異文化に触れたいといいつつも、シンガポールやオーストラリアやカナダなど比較的治安が日本と近いイメージのある海外赴任を描いていたのかもしれない。

治安などの国情があまり良いイメージの無いインドへ行く事は不安だった。

さらに、インドへ行くことの不安は私の内側から湧いてくる不安だけではなく、赴任が決まったことを報告した家族や友人の忠告や反対から掻き立てらたものも大きかった。

インドへ赴任することを報告すると周囲の反応はネガティブなものが多かった。

友人「大丈夫?」

友人「治安悪いんじゃない?」

友人「病気になりそう」

友人「お腹弱いんだから無理だよ」

友人「生きて帰ってこれる?」

私「・・・」

私自身返事に困るものばかり。しかも、海外赴任経験者がそう多くない会社だったので、赴任先の仕事や生活についてあまり情報が入ってこない。

思い返すと1番反対していたのはまさかの父だった。

「海外の国で働くのは賛成だが、他の国にしろ」と私の海外赴任を最後まで反対していた。昔から私のやることに口を出すことのない父だった。特に「男はほっとけば育つ」という信念みたいなものをもっていた。

しかし、珍しくこの時はすごい勢いで反対されたのですごく印象に残っている。その父親が成田空港まで送ってくれたのは息子を見送ることを決めた彼の覚悟の表れだったのだろう。

たくさんの心配の声をかけられる度に、私の楽天的な部分と不安症の部分の2面が何度も交代して出てきた。

不安症がリードし始めていたのは間違いない。そして私の中の不安は「インド」だけではなかった。私の英語の実力不足も不安要素だった。

が、好奇心の強さとあまりにも周りが反対するせいで面白そうだと思うようになってきた私はインド赴任を決心し、会社に報告をしした。

このころの私は連絡をする度に担当者が変わるインド支店の違和感に気づいていなかった。いや、見て見ぬふりをしていた。

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英語も苦手なままだった

英語のスキルを聞かれるといつも「英語は昔から苦手です。」とネガティブな発言をしてしまう。

学生のころは英語はどちらかといえば得意科目だった。しかし、英会話になると話は別。1年間本気で勉強してやっとたどり着いたのがTOEICスコア700点。

700を「良い点数だ」と言ってくれる人もいるが、「現場では使い物にならないね」という人もいる。私としては努力して手に入れた大事なスコアだが、英会話に自信がないことはかわらなかった。

出来るだけもがこう!と決心して必死な勉強がはじまった。

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本当に赴任するの?

実はインド赴任が決まるが、赴任日がいっこうにきまらなかった。私自身インド赴任がなくなったのではないかとおもった。

インド支社との面談もない・・・

実際のところ、私のいた現場が業務多忙・人事異動・退職などで大忙しとなり、なかなか後任が決まらず異動ができなかったのだ。

結局私の異動は辞令が出てから半年以上かかった。

今日はここまでにさせていただきます。お読みいただきありがとうございます。

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